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表現するということ

合唱とは直接関係のない話ですが、ソプラノのHはShall We Sing?の他に図書ボランティアという活動にも参加しています。
毎月高齢者施設二か所に紙芝居や絵本を持って伺い、読んでいます。

毎月楽しみに待っていてくださるおばあちゃんたちに会えるのが私自身もとっても楽しみで、次回どんな作品を持って行ったら喜んでいただけるかと、日々紙芝居や絵本を探し回っています。

気になる紙芝居や絵本を図書館で片っ端から借りて、読んでみるのですが、ボランティアで使う本を選定するには黙読だけではダメですね。
自分個人が楽しむ分には黙読でも良いのですが、自分の声で相手に伝えるとなると、向き不向きがあるように感じます。

例えば、私の場合、関西弁のものは難しいです。
生まれ育ちが東京の私が、関西弁を読もうとするとどうしてもぎこちなくなってしまいます。
東京で演じるのなら雰囲気でごまかせても、ボランティアで行く施設は大阪市内ですから。
気が引けてしまいます。

それと登場人物が壮年の男性ばかりで、会話が主体のものになるともっと壁があります。
イメージする声が出せなくて、作品がなかなか自分の物になりません。

つまり、関西弁にしても男性の声にしても、自分の中に取り込めていないものを自分の声を使って相手に伝えるのは難しいということかもしれません。

・・・歌も一緒でしょうか。
音符をなぞって、歌詞を書いてある通りに歌うことは簡単にできても、
その歌の心を自分なりに解釈して取り込むことができていないと、人に伝えるということはできないのでは?
とはいえ、その表出が過剰になっても押しつけになってしまっていけないのでしょうけれど。
気持ちよく心地よく共感していただける、そんな表現ができるといいなと思います。

Shall We Sing?でも10月8日に介護老人福祉施設での慰問演奏会を予定しています。

歌う側とお客さんとの距離がとても近い慰問演奏会が私は大好きです。
会場が暖かい共感の輪で包まれますように。

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